照沼ウァリーザ写真展(晶エリー)

以前に一度小さなアルバムで見せていただいたことがあるが、あらためて大きく引き延ばされて壁面を飾った写真には作者の意図が明確に伝わってくるセルフポートレイトである。
色使いがポップである、
錯乱ともおもえる色の手法をみごとに個性的に消化している、
たぶん背景は自分の部屋であろう、
少女たちが集める小物、
おもちゃでいつぱいだ、
模造ダイヤの冠をつけて大きなヒキガエルを頭にのせたのがある、
この一枚がとくに気に入った、
周りにはいろとりどりなまがいものの小物がちりばめてある、
まるでジャン、ジュネの薔薇の刺青だ、
倒錯の世界にあらず少女の世界に遊ぶ甘ったるい感覚をみせつける、
小虫を顔にはわせたものもある、
アフリカの子供の顔にハエがたかっていれば同情と悲しさを感じるが、ウァリーザの顔の虫は刺青こごとくしてエロチシズムをかもしだすばかり、甘ったるい香りを嗅ぎながら見つめた小部屋の写真展。

晶エリー バレリーナ緊縛

集合時間の5分前にスタジオにエリーと私は到着していた。当日はとても冷え込む 朝で5分さえも外で待つのは辛く、近くの喫茶店に入りスタジオが開くのを待つ。そのさいエリーが悲しげに「私自己主張が強いから仕事の内容がつまらないと ついついやるきをなくしてしまうの、皆さん一生懸命に仕事をなさっているのに悪いなと思いながらだらけてしまうから今は反省しています」、私はエリーとは 一度しか撮影をしていないが、カメラの前になるとその集中力とフォトジェニックな容姿は業界のトップを維持している資格を理解させるものがある。膨大なV ビデオの撮影を経てそこに費やしたエネルギーと学んだ数々のこと楽しさと哀しさ、それが現在の晶エリーをつくっていると自覚するから、無責任な仕事をする 自分が許せないのだろう。エリーのblogに掲載される楽しげで色鮮やかな環境に染まっている姿とはまた違った一面をみせていた。スタジオさんは9時30 分に遅刻到着。

私の苦労話
先日新宿高島屋の店内を通り過ぎていた時にクラッシィクバレエの衣裳をつけたマネキンを目にとめる、今 度のエリーの撮影衣裳はこれだと決める。その後その衣裳をチュチュといわれていることも知る、以前にもバレリーナの緊縛写真は撮っているが今回はもうすこ し踊り子を理解して臨みたく思い、ネットでバレエシューズのはきかた、舞台挨拶のポーズなどを調べてみた。バレエシューズは中国古来の纏足の苦しみを女に (あえて女に)あたえ、それを鑑賞する芸術とよこしまな考えをいだく。バレエの練習経験のないエリーにはたしてつまさきに足指をかためてはいたトウシュー ズでつまさき立ちができるのかと危ぶんでいた、その危惧は2、3度のつまさき立ちで足指を痛めてしまう結果となる。ここで今回のテーマのひとつの纏足はや むなく中止。チュチュで踊る踊り子は素足に股縄で舞台にあがるのを正式な衣装と心得る。私達はそんな演目を演じて、舞台袖にさがったエリーからクレームが つく、素足ではチュチュの裏地のコサージュの縫い目があたり痛くて動けない。またまた中止、事前にバレリーナに相談しなかった私の失敗。ちょっと エリーの気持ちに暗雲がただよう。確かに衣装とシューズのミスマッチは演者にとっては致命的なことだ。

気分をとりなおして物語り は諦めて緊縛の世界へはいりましょう。エリーは体が柔らかくお尻がハーフの生まれのせいでヒップアップした艶かしい体型です、色白肌に縄止めするととても 映えます、ナルシストのエリーの気分を高揚させるにはただひたすら美しさをほめつづければいいのです、もともと美しいのですから私も自然に「美しい、美し い」とためいきまじりに声をかける、ここからら全て快調なペース
高手小手、釣りきみの開脚、あげくはその続きに釣り、エンディングには体の力がぬけ無残美がでているとおもいます。

上記作品は、
緊縛桟敷キネマ館にて掲載中

杉浦則夫緊縛桟敷 より原稿掲載