投影 ~小林一美を求めて~ 振袖

第三章 、振袖

そういえば。

小林一美との衝撃的な出会いから少し後。中学のクラスの男子生徒の間で、エロ本(主に自販機本)の物々交換がちょっとした流行だった。校則を破り学校に持ち込んだ互いのエロ本を、一晩交換して楽しむというものだ。あくまで“等価交換”が条件で、“ブツ”を持たない者は他者のお宝を拝む事は出来ない、厳しいルールだった。なんらかの方法でエロ本を手に入れることの出来た奴が「大人」、そうでない奴が「子供」といった線引きをしていたのかもしれない。
私はその頃には、すでにSM雑誌のいくつかを手にしていたが、雑誌はその取引には向かないように思われた。手元に自販機本は一冊も無かったので、交換可能なものは「SM妖美写真集」のみとなる。

これぞ男の付き合いだ!見栄もある。
だがその犠牲として、ついに私の“秘蔵の書”は、悪友宅にお泊りさせられてしまうのだった。
「背に腹は変えられない」とはいえ、無事に戻ってくるかどうか、交換相手の退屈な自販機本をめくりながら、不安な夜をすごしたわけだが、翌朝同級生の「妖美」評は散々なものであった。
「全然“いやらしく”なかった」「何が良いのか分からない」
そうだよね。オレもどうかとは思ったけど、一応、裸の写真もあるし…と、必死でその場を取り繕う。
卑屈である。

二度と、決して、自身の嗜好を他人に明かさないと、強く心に誓った。

話を戻す。

当時は今と違い、成人向けの書籍といってもゾーニングされているわけでも、ビニール袋に入れられているわけでもなく、本屋で中身を自由に確認する事が出来た。そのおかげで、「妖美」の表紙を飾った「花筐」の白い和服とは別衣装の小林一美の存在を知った。同時にSM雑誌なるものを初めて手にする事になる。

朱色の振袖は、彼女が未成年であることを知らせている。SMファン昭和55年3月号の裏表紙、正座姿で縛られた彼女には、「恋虐の装い」というタイトルが付けられていた。
「白」着物以外の小林一美を発見!
それだけで、購入は決まった。写真集よりは格段に安価であったので、代金調達の為の親への嘘も小さなもので済んだ。

華やかな衣装。キラキラと輝いていた。
だが、私にとってそれは、小林一美が着ているからこその、である。長い袂の下にのぞき見える白足袋だけでも、充分にエロスを感じる事が出来た。やがて、徐々にその美しく隙の無い着付けが、自在に形を変え這い回る麻縄によって淫されていく。
祝いの、喜びの場でのみ着る事が許される晴れ着。だからこそ、無慈悲に剥ぎ取られた時の彼女の悲しみは、大きかったことだろう。そんな悲哀を覆い隠し、きつく抱きしめるように掛けられた麻縄だけが、彼女の救いに見える。

親が洋服ばかりだったので、私には和服そのものが「非日常」であった。見慣れぬ衣装は、秘密の嗜好にあふれた世界へ、侵入する為の“装置”となっている。
印刷された淫靡へ跳ぶ事が出来れば、あとは彼女を包んだ美しい布を、一枚一枚じっくりと脱がしていけば良い。遠慮はしない。そこではもはや、和服は特別なものではなく、縄を引き立てる、ただそれだけの役割なのだから。
彼女の柔肌が露出するほどに「非日常」が「日常」へと降りてくる。
その幻想の隙間で、私は小林一美と戯れるのだ。麻縄によって自由を奪われた彼女に、それを拒む事は出来ない。

和服緊縛としては、この他に、黄色の着物「縄花一輪」がある。
比較的早い時期、別タイトルのモノクロ作品に、「白」でも「朱」でもない、別な和服を発見した。だが、その色が黄色であったと判るのは、古本屋巡りが始まる高校時代を待たねばならない。
なぜなら、「縄花」は54年別冊SMファン12月号に掲載されたもので、年が明け、小林一美という女を知った時には、すでになじみの本屋で求める事は適わなかったからである。

投影 ~小林一美を求めて~ 出会い

第二章 、出会い

昭和55年、寒い日。
その時の事をはっきり憶えている。中学生だった私は、下校途中に寄り道した本屋で彼女「小林一美」と出会った。

雑誌SMクラブの増刊号として発刊された写真集だった。もちろん、この時はSM雑誌の存在は知らない。
その表紙には、小林一美が掲載されていた。
美しい年上の女。それまで、日常生活において、あるいはテレビや雑誌を通しても見たことの無い、影のある女の表情。白の着物に掛けられた麻縄が鈍い光を放っていた。裏表紙を見て彼女が後手に縛られているのを理解した。
開く。

巻頭グラビアに「花筐」とあった。笑顔はない。縛られた女は、身をくねらせながら顔を歪めていた。

薄暗く狭い店内で、大雑把に区分けされた陳列だったが、私の目はその写真に釘付けになる。タイトルの“SM”が何を意味するのか、まだわからない。それでも“妖美”の意味は、表紙全体からぼんやりと理解できた。
「綺麗な女が縛られている」姿に、胸は高鳴り、熱いものが込み上げてくる。はじめての感情だった。

理由がある。
彼女に魅入られたのは、小学校時代の担任の女教師に似ていたのだ。

やぼったい容姿の女教師が多かった当時、その先生は珍しく都会的で美しい人であった。
きっと恋していたのだ。密かに…私は彼女をモデルにした緊縛姿をいくつも描いた。夢中で!
緊縛という言葉が在る事を知る遥か以前である。
もちろん、麻縄で縛るという知識はない。絵の中で彼女を縛っていたのは、縄の代わりに蛇であった。何匹もの蛇が、担任教師の肢体に絡みつき彼女の自由を奪っている。苦悶の表情を浮かべる女教師。もやもやした“何か”が生まれ、育っていた。
子供ながらに、その絵は「誰にも見られてはいけない」と知っている。ノートに描いては消し、消しては破り捨てた。

捨て去ったはずの、私のかつての妄想が、突然目の前に蘇ったのだ。あっという間に、心が小林一美に侵食されていく。

表紙から、彼女の匂いがした。

たぶん、参考書や文具の購入を偽ったり「よからぬ方法」で、親からお金をせしめたのだと思う。
店番がオバさんである間は、さすがに購入が躊躇われた。店主であると思われるオヤジに交代したのを見計らって、代金と共に写真集を差し出す。顔を上げる事は出来ない。心臓の音が店中に鳴り響いていた。それでも、あの時のドキドキは禁断の書を購入するスリルよりも、恋焦がれる彼女とのデートを心待ちにし、眠れぬ前夜の胸の高鳴りに近かったのではないか。
店主は、薄い紙袋に写真集を入れると、少年にそれを渡した。私は彼女を大切に抱きしめながら再び家へと向かう。小走りであった。

…それにしても、店主はよくぞ、見るから未成年の私にそのテの本を売ってくれたものだ。今考えるよりも、ずっとのどかな時代だったのかもしれない。