アンダーカバー・SUMIRE 3

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■第3章 地獄の入口

「気づいてるんでしょ?気を失ったふりなんかしても無駄よ。」
謎の女は私の顔を覗き込みながら言った。
私は無言で女の顔を見つめ続けた。
「あなたうちの会社を調べていたそうね。それで、何を掴んだのかしら?」
うちの会社?ということはこの女もマサダの人間か。
「ふ~ん、だんまりってわけね。でも沈黙ほど雄弁なものはないわ。それこそ、あなたがスパイだって何よりの証拠よ。」
私は直感的にこの女にはヘタな嘘は通じないと察し、ならばと無言を通すことにした。
「弁解も否定もしないのね。それじゃ一方的に質問させていただくわよ。」
首に回した女の手に力が込められるのを私は感じた。
「まずはあなたの正体を教えて頂戴。そしてあなたがここで掴んだ情報の中身もね。」
女の言葉はあくまで冷静で温和であったが、その底には言い知れぬ凄みを秘めている。
私は何か言葉を発したら、そこから全てがもろくも崩れ去る恐怖にますます口を硬く閉ざした。
「何も教えてくれないのね。いいわ、それならこちらにも考えがあるわ。」
そう言って彼女が懐から取り出したものは、チェーンのついた金属性の大型のクリップだった。
な、なにをする気?! 私はそのクリップを凝視し、それが私の体のどの部分に対して用いられるかをすごい勢いで思い巡らせた。
女の手がいきなり私の鼻を摘みあげる。反射的に出した舌の先に素早くクリップが装着された。
ガシッ! アギャァッ!!
尋常でない痛みが舌先を襲い、私は思わず妙な悲鳴をあげてしまった。
「ふふふ、驚いてるみたいね。痛いはずよ。そのクリップの先には上下に鋭い鋲がついているの。今あなたの舌には2本の鋲がしっかり突き刺さっているのよ。」
アウアウアウアウ・・・・
言葉にならない呻き声を発しながらも、私は必死に痛みを堪え、涙がこぼれるのを寸前で食い止めていた。
「なにも喋らないなら、舌は必要ないわよね。」
女はニタリと口元だけで笑うと、クリップに繋がったチェーンを引っ張り始めた。

アアアァァアァアアァァ・・・!!!
そんな私の痛みに歪む顔を楽しむかのように、女はますますグイグイとチェーンを引っ張る。
上下から食い込む鋲がジリジリと移動し、私の舌は5cm近くも長く引き伸ばされていた。
ラレレーーー!オレライーーー!!
「あら、言葉が喋れるんじゃない。ホホホホホ。もう一度言ってごらん。ヤメテ、お願いって。」
イライ、イライ、ロー、ラレレーーー!
意に反しついに堪えきれず涙が目尻から溢れ出てきたのを見て、女は引く手を止めた。
「この辺でやめにしてあげるわ。これ以上引っ張ったら、あなたの舌、ヘビの舌のように二つに裂けて、私の質問にも答えられなくなっちゃうからね。」
女がクリップをはずすと同時に、私は慌てて舌を口の中に仕舞い込んだ。もう二度とクリップの餌食にされないために。
閉じた口の中が鉄錆にも似た甘酸っぱい血の味でいっぱいになる。

舌への残酷な特殊クリップ責めで息も絶え絶えに横たわる私を見下ろすように黒いキャミソールの女が立っていた。
「さあ、もう痛い思いはしたくないでしょ。素直に質問に答えれば、すぐにでも傷ついた舌の手当てをしてあげるわ。」
「無駄よ。いくら脅したって責めたって。私は何も喋らないわ。」
私は初めて彼女に対して言葉を発した。
それは徹底抗戦の意思を示すとともに、私自身の恐怖心を払拭するための台詞だった。
「なるほどね。よほど訓練を受けているところを見ると、敵国Yの諜報員、それともライバルM社の産業スパイ、あるいは公安の潜入捜査官ってとこかしら?まあいいわ。その訓練の成果を徹底的に試してあげるわ。」
そう言うなり女の黒いハイヒールがドカッと思いっきり私の顔を踏みつけた。
ウグッ!

「ふふふ、可愛い顔して強情を張るところが私の好みだわ。ほらほら、もっと喘ぐがいい。」
女は徐々に体重を片足に乗せて私の顔面をグリグリと靴の裏で押さえつける。
ギシギシ音を立てているのが、下の木製のパレットなのか私の頭蓋なのかもわからないくらい、強烈な圧力が加えられた。
痛い!痛い!痛い!このまま顔が歪んでしまうのではないかという恐怖と激痛に苛まれながら、これが拷問というものなのかと私はあらためて救いのない状況にますます不安を募らせていった。
「これならどう?ほほほ、苦しいでしょ!」
女の手が私の首を掴み、そこに渾身の力が込められた。
う、うぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・く、苦しい・・・・・・
徐々に頭の中が真っ白になり、やがて私の意識は遠くの方に吹っ飛んでしまった。

文章 蝉丸
写真 杉浦則夫
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アンダーカバー・SUMIRE 2

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■第2章 恐ろしき妄想


最悪の気分だった。
先ほどの催眠ガスのせいで頭の芯はズキズキ痛むし、全身が極度の倦怠感で包み込まれている。
意識が鮮明になるにつれ、今自分が置かれている状況がわかってきた。
幸い着衣の薄手のワンピースは無事だったが、両手は後ろにロープでしっかり縛られている。
あたりを見渡すと、私邸とは別の納屋のような薄暗い部屋。
その床に置かれた一枚の木製パレットの上に、私は寝かされた状態で拘束されていたのだ。
この時感じたほのかに酸っぱい自分の汗の臭いだけが妙に今でも鮮明な記憶として蘇える。

この先、私はどうされるのだろう。
マサダの連中は秘密裏の活動が外部に露見したとあらば、当然本国からこの大失態の処罰の対象とされることを恐れるているはずだ。
しかしたとえ部分的なものであれ、この2週間に私が持ち出したは情報は今さら防ぎようがない。
ならばいったいどこに情報が渡ったのか、その流出先、内容、重要度を知りたがるだろう。
もちろんそれを尋問されても私は答えるわけにはいかない。
とすると、連中は私から無理矢理にでも情報を得ようと躍起になるに違いない。
「拷問」。そんな恐ろしい言葉が私の脳裏をかすめた。

未だ不快な頭痛に苛まれる私の思考は、考えれば考えるほど最悪の状況へと発展していく。
これまで数多くの危険な任務にあたって来たが、一度たりともこんな敵の手中に落ちることなどなかった。
当然仕事柄、敵の捕虜となって過酷な拷問を受ける可能性は多分にあるし、事実拷問で廃人同様となった先輩、同僚も幾度か目にしたことがあったが、まさか自分がそのようなシチュエーションに遭遇するなど思ったこともなかった。
それが今、現実のものとなろうとしている。
果たして拷問に耐えられるのだろうか。
でも、私は公安捜査官。国にとって不利益になることは、いっさい洩らすわけには行かない。
何より国家に危害を加える輩は絶対許せない!
でも・・・・でも、拷問はイヤ!やっぱり無理よ!無理だわ!耐えられるわけなんかない!
助けて・・・誰か、助けて、お願い・・・・・
ズキズキ軋む私の脳の中で、二人の自分が戦っていた。正義と信念を貫こうとする自分と、恐怖に慄く自分が。

ガチャリ!ギィィィィ・・・・
その時、納屋の扉の鍵をはずし、何者かが扉を開けて室内に入ってきた。
私は恐ろしさのあまり入口の方角を見ることもできず、気絶したままのふりをして成り行きを見守ることにした。
それが救出であることを祈りながら。

足音から侵入者は一人のようだ。
その人物は静かに私の傍らにしゃがみこみ、首に片手を回し立てた片膝の上に私の上半身を抱き起こした。
気づかれぬよう薄目を開けると、黒いキャミソール、黒い帽子、黒いハイヒールと黒基調で整えた見たことのない女が私の視野に入ってきた。
いったい誰?敵なの?それとも味方?

文章 蝉丸
写真 杉浦則夫
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アンダーカバー・SUMIRE 1

杉浦則夫の作品からインスピレーションされ作られた文章作品で、
全8話の長編小説のご投稿がありました。(投稿者 蝉丸様)
本作品は毎週金曜日に公開される予定となっておりますので、どうぞお楽しみに!

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■第1章 忌まわしき記憶

「では、もう一度始めからいきさつを話してもらおうか。」
窓もなくただ机が一つ中央に置かれただけの殺風景な小部屋で、無機質な男の声が静かに響く。
「課長、ですから、もう何度もお話しているとおりです。これ以上新しい事実は何もありません。」
課長と呼ばれた体格の良い長身の男はやれやれと呆れた顔を見せ、傍らに立つ部下に目で合図を送った。
部下は部屋から一旦姿を消すと、間もなく湯気の立つコーヒーカップを乗せたソーサーを持って現れ、それを机の上にガチャンと無造作に置いた。
「どうだい、熱いコーヒーでも飲んで少し落ち着いては。」そう言うと男はソーサーを前方に指でスーッと押し出した。
「私が納得するまで、何度でも話してもらうよ。そう、もうよいと言うまで、何度でもね。」

私の名前はSUMIRE。警視庁公安部外事第○課の捜査員。
私たちのチームは国内に潜伏するZ国のテロ組織を暴き、一網打尽にするのが任務だった。
そこで私に与えられた使命は組織に潜入し、活動拠点と武器調達ルートを探ること。
そのチームのボスが、今目の前で私に質問を繰り返し投げかける草八木課長である。
草八木の表情は一見柔和だが、私を見るその目には明らかに疑念の色が窺われる。
そうなのだ、私は疑われているのだ。

―――――――――――――――

3週間前、私は用意されたツテを利用して、ターゲットである貿易会社マサダ商事の社長秘書として首尾よく同社の中核に入り込むことができた。
社長の暗崎一郎は70歳の老人であったが、案の定あえて露出度を高めた私の服装に好奇の目を輝かせ、露骨な寵愛の態度を示してきた。
狙い通りだ。
私はさっそく社長命を語って、各部署のファイルから倉庫内に保管された書類に至るまで次々に調べ上げていった。
程なく私は社内での業務の他に、暗崎社長の私邸で身の回りの世話なども任されるようになり、社内ばかりでなく私邸での探索も容易となって情報収集は質量ともに格段に上がった。
こうして入社1週間で私は同社の表向きの顔とは異なるもう一つの顔を暴き出すことに成功した。
Z国諜報部とのコネクションは明白で、工作員の潜伏先、資金や武器の調達経路も着々と把握しつつあった。

しかし、予想以上のスムースな進展に私はつい油断し、そこに巧妙な罠があることなど考えもしなかった。
今思えば、ここ一両日、私は奴らにまんまと泳がされていたようだ。
マサダの秘書に就いて2週間経ったある日、社長の留守を見計らって私邸の書斎で秘密リストを探っていた私は、突然書斎のドアが外から施錠されたことに気づいた。
私は身の危険を察し素早く書類を元に戻すと、ドアノブに取り付いて「中にいます。開けてください!」と弱りきった声で叫んだ。
業務中うっかり閉じ込められてしまった軽率な秘書を演じる私に、ドアの外から男の声が静かに語りかけてきた。
「いったい君はそこで何をしていたのかね。私はそんな指示を出した覚えはないが。」暗崎社長の声だった。
「あ、あの、書斎のお片づけをしようと・・・・」私は咄嗟に嘘の弁解を述べたが、暗崎社長はそれを遮り言った。
「ふふふふ、もうよい。ここからはお互い本当のことを話そうじゃないか。」
シューーーーー・・・・ かすかに聞こえてくる空気音。「ガスか?」
やがて私の意識は徐々に遠のき、くらっと眩暈がしたのを最後にその後のことは記憶が残っていない。

文章 蝉丸
写真 杉浦則夫
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