コラム「女教師 向島かすみ」下

【女教師 向島かすみ 】
新卒の小学校教師である向島かすみは、すでにクラスの男子児童達の性奴隷となっている。
省みれば稚拙で単純な罠だったが、お嬢様育ちの女教師はいとも簡単に堕ちてしまったのだ。
いまや、校内のいたる場所、教室はもちろん、廊下で、トイレで、体育倉庫で、小さな悪餓鬼の群れが、担任教師の肉体を求め、貪るようになっていた。そして、小さく細い未成熟な肉棒を精一杯硬くして、覚えたての快感を、かすみの中へとぶちまけるのだった。
そんな教え子たちとの禁断の淫戯を偶然目撃し、それをネタに女教師を脅迫してきたのが、目の前の醜い男なのだ。彼は、かすみの学校の用務員であった。

「我慢し過ぎると、ガキどもの前でお漏らしするハメになるからな!」
昼間、授業の合間の休憩時間だった。男は、いつもの階段下の用具室に女教師を引っ張り込む。そして、嫌がる彼女にイチジク浣腸を数個施し、次の授業に送り出した。
イヒヒヒ…きっとかすみ先生は授業を中断して、トイレへ駆け込むだろう。誰にも見られた事の無いお嬢様女教師の排便姿。アノ臭いにまみれ、恥辱に打ち震える姿を観賞しながらの言葉嬲りも面白い。汚物を出し切った処で、アナルを堪能するのも悪くない。

しかし結局。用務員の期待した悲劇は起こらなかった。
この辛抱強い女教師は、抗し難い便意に耐えて45分間の授業を乗り切ったのである。授業中にトイレに行けば、どんな仕打ちが待ち受けているのかは、容易に想像できる。これまで幾度の辱めを受けて尚、高美を保ち続けている彼女に受け入れられるはずも無かった。

女教師の強い意志と忍耐もまた、それを持たぬ男には汚すべき対象であったかもしれない。
その後、校内でかすみと二人きりになる機会を逸した彼は今夜、イチジク浣腸の何倍も強力な浣腸液と、それを注入する為のイルリガードルを持ち、彼女の部屋を奇襲したのだ。児童との痴態を写真に撮られ、それをネタに脅されている。これまで幾度と無く、用務員の破廉恥な要求に屈している女教師に、突然の私室訪問を拒む事は許されなかった。

児童達の無邪気ゆえ、時には痛みを伴う乱暴な凌辱も耐えがたかったが、この忌むべき男のネットリとした変態嗜虐には、心の底より嫌悪が沸いた。肉体からは、自然と拒絶の信号が発せられる。麻縄を掛けられるだけで、ザワザワと鳥肌が立ち得体の知れない汗が出た。ヤスリのように硬くざらついた指が柔肌に触れる度に、彼女は身をよじり、全身に纏わり付くような粘着から逃れようとするのだが、その様は男の加虐心を益々煽るばかりであった…。

羞恥にじっと耐える「女教師 向島かすみ」の、何と妖艶な事か。出来れば、いつまでも堪え、いつまでも苦悶に歪んだ表情を見ていたい気もする。
だがまもなく、敗北の音が鳴り響き、部屋中に汚臭が立ち込めるだろう。
官能の支配を拒み、高美にあり続ける女教師のプライドが瓦解する。その至福の瞬間を心躍らせ待つことにしよう。


向島かすみの作品を見る(緊縛桟敷キネマ館)

コラム「女教師 向島かすみ」中

【誤認】
さて、教室で縛られているわけでも無く、学生や学校職員が登場するわけでも無い。一見、一般的な、若い女性の私室である他の情報は見当たらない。では何故、向島かすみが女教師であると言えるのか?確かに清楚な教師の雰囲気を湛える女性ではあるのだが…。

実は、昭和緊縛史に収録されている彼女のシリーズは、「苦い旋律」「愛肛レッスン」等の他に、ズバリ「ピアノ教師凌辱」というタイトルが残されている。一応、“教師”である。
しかし、同シリーズのモノクロ作品「淫楽哀奏曲」では、副題に『-ミチコは19歳で悦虐に目覚めた-』と書かれおり、そうであれば、彼女はまだ大学生という事になる。また、肝心の「ピアノ」が、実際は「オルガン」であるタイトルの適当さ(もちろんピアノ教師が、オルガンを所有している場合もあるわけだが)を考えても、「ピアノ教師陵辱」だけで「女教師 向島かすみ」とするには、強引過ぎる解釈だと他人様に笑われてしまうだろう。

それとは別に。私には、彼女を女教師、それも小学校教師とする確信的根拠がある。手がかりは、ピアノとされたリード・オルガン(足踏みオルガン)だ。
誤認は、「ピアノ教師」とタイトルを付けた関係者だけではない。私も長い間、彼女の背後に置かれたものが、アップライト・ピアノであると思い込んでいた。不覚である。

大規模校では、音楽の専科教員が当たり前になったようだが、現在でも、担任教師が音楽の授業を行う小学校は多いはずだ。私の場合は、専科教員には当たった事が無く、クラス担任は音楽、美術、体育と、なんでもこなしたように記憶している。事実、自宅にオルガンを買い込んで、伴奏の練習に勤しんでいた先生が、昭和54年頃は沢山存在した。
かすみ先生が、そのような小学校教師の一人であったとしても何の不思議もあるまい。もちろん一般家庭であれば、ピアノ以外の鍵盤楽器が置かれている事は稀であった。

緊縛グラビアに話を戻す。
廃校などでロケが行われるのは、もう少し後。「女教師~」と銘打った作品に、黒板や学校机・椅子、教卓が頻繁に登場するのも平成を待たねばならない。とにかく、向島かすみが活躍した時代は、「女教師」を表現するのが難しい時代であった。せっかく教室風の撮影スタジオが存在する最近でも、それを利用することなく、当該モデルを女教師とする説明が全く欠けたまま、タイトルに「女教師」を戴いた不愉快な作品が少なくない。その事を考えると、当時のリード・オルガンは小学校教師を妄想するに破格の演出だったと言えよう
ありがたい。かくして彼女もまた、私の女教師妄想の中にラインナップされたのである。

それは大学時代に、教員採用試験の音楽実技に向けて、練習用にと親が買い与えたオルガンだったかもしれない。教師となった後でも、音楽の授業の前には練習を欠かさなかったに違いない。きっと、音楽好きなかすみ先生にとって、教え子らの元気な歌声を想像しながらの伴奏練習は、楽しいものであったろう。
そんな想いの詰まったオルガンの前で「女教師 向島かすみ」は、無惨に辱められるのだ。


向島かすみの作品を見る(緊縛桟敷キネマ館)

コラム「女教師 向島かすみ」上

【唆る肉体】

「何故、彼女を“女教師”としたのか?」
その答えは後に書く。

昭和緊縛史・第二集収録の「向島かすみ」は、昭和54年を中心に活躍したモデルさんだ。
「芳村なぎさ」という名前を憶えていたのだが、資料を整理していて「津田麻里」という名前も見つけた。当時、結構な露出であったので、きっと他の名前も持っているだろう。

ナース、女学生、テニスウェア…S女王様という設定もあった。とにかく作品数が多い。間違いなく、昭和の緊縛グラビア黄金期を支えた一人だと言えると思う。

その中でも、特に「苦い旋律」(昭和54年10月・SMファン掲載)のシリーズは秀逸だ。彼女の持って生まれた“唆る肉体”が、忠実に、あるいはそれに増して淫靡に写し撮られている。

不自然に上半身を反らされ、オルガンに縛り付けられた向島かすみに苦悶の表情が浮かぶ。
彼女から自由を奪う麻縄は、二の腕を回りこみ、半袖ブラウスの下に隠されている乳房を上下に挟み込んで掛けられている。その二筋の胸縄の間を弓状に走るストライプは、平面に転写されただけの2つの半球を、あたかも福与かに奥行きを持つように錯視させる。

私には、彼女の着るブラウスが、妄想世界の導入部として重要な役割を担っているように思えてならない。そのストライプ柄が、これ以上無いくらいの美しい曲線を縄間に描く事で、押し込められた肉体に若く瑞々しい弾力がある事を容易に、そして強烈に直感させる。見る者は、ここで知覚した心地よく浮き上がる美肉の感触を持続しながら、後に繰り広げられる縄濡絵巻へと感情移入していくのだ。

もう一つ。作品全体が「蒼」に支配されている。
画像自体が、シアンに寄っているという意味だけでは無い。スカートの水色、洗面器の青色。なによりも、エロスを象徴するかのごとく配置された、リンゴとオレンジの暖色の印象的な鮮やかさが、そこは「蒼い空間」である事に気付かせてくれる。
本作では、蒼の中に白い柔肌を縛り付けることによって、皮下に透ける微かな紅美をも浮き上がらせる。

残念ながら。向島かすみを撮った他の作品では、彼女の白肌は強調されていても、それ以上の生々しさを伝えてくれてはいない。紅美から滲む淫艶が、ブラウスによってもたらされた実体感と相まって、体温や体臭を伝え、比類無い肉体表現へと繋がっているのだろう。

指で押せば「ぷりっ!ぷにゅ!」と弾く、“そこに在る”肉体の感触。その効果が、計算された結果にせよ、そうでないにせよ、写真芸術の成し得た奇跡である事には変わり無い。


向島かすみの作品を見る(緊縛桟敷キネマ館)