コラム「女教師 向島かすみ」中

【誤認】
さて、教室で縛られているわけでも無く、学生や学校職員が登場するわけでも無い。一見、一般的な、若い女性の私室である他の情報は見当たらない。では何故、向島かすみが女教師であると言えるのか?確かに清楚な教師の雰囲気を湛える女性ではあるのだが…。

実は、昭和緊縛史に収録されている彼女のシリーズは、「苦い旋律」「愛肛レッスン」等の他に、ズバリ「ピアノ教師凌辱」というタイトルが残されている。一応、“教師”である。
しかし、同シリーズのモノクロ作品「淫楽哀奏曲」では、副題に『-ミチコは19歳で悦虐に目覚めた-』と書かれおり、そうであれば、彼女はまだ大学生という事になる。また、肝心の「ピアノ」が、実際は「オルガン」であるタイトルの適当さ(もちろんピアノ教師が、オルガンを所有している場合もあるわけだが)を考えても、「ピアノ教師陵辱」だけで「女教師 向島かすみ」とするには、強引過ぎる解釈だと他人様に笑われてしまうだろう。

それとは別に。私には、彼女を女教師、それも小学校教師とする確信的根拠がある。手がかりは、ピアノとされたリード・オルガン(足踏みオルガン)だ。
誤認は、「ピアノ教師」とタイトルを付けた関係者だけではない。私も長い間、彼女の背後に置かれたものが、アップライト・ピアノであると思い込んでいた。不覚である。

大規模校では、音楽の専科教員が当たり前になったようだが、現在でも、担任教師が音楽の授業を行う小学校は多いはずだ。私の場合は、専科教員には当たった事が無く、クラス担任は音楽、美術、体育と、なんでもこなしたように記憶している。事実、自宅にオルガンを買い込んで、伴奏の練習に勤しんでいた先生が、昭和54年頃は沢山存在した。
かすみ先生が、そのような小学校教師の一人であったとしても何の不思議もあるまい。もちろん一般家庭であれば、ピアノ以外の鍵盤楽器が置かれている事は稀であった。

緊縛グラビアに話を戻す。
廃校などでロケが行われるのは、もう少し後。「女教師~」と銘打った作品に、黒板や学校机・椅子、教卓が頻繁に登場するのも平成を待たねばならない。とにかく、向島かすみが活躍した時代は、「女教師」を表現するのが難しい時代であった。せっかく教室風の撮影スタジオが存在する最近でも、それを利用することなく、当該モデルを女教師とする説明が全く欠けたまま、タイトルに「女教師」を戴いた不愉快な作品が少なくない。その事を考えると、当時のリード・オルガンは小学校教師を妄想するに破格の演出だったと言えよう
ありがたい。かくして彼女もまた、私の女教師妄想の中にラインナップされたのである。

それは大学時代に、教員採用試験の音楽実技に向けて、練習用にと親が買い与えたオルガンだったかもしれない。教師となった後でも、音楽の授業の前には練習を欠かさなかったに違いない。きっと、音楽好きなかすみ先生にとって、教え子らの元気な歌声を想像しながらの伴奏練習は、楽しいものであったろう。
そんな想いの詰まったオルガンの前で「女教師 向島かすみ」は、無惨に辱められるのだ。


向島かすみの作品を見る(緊縛桟敷キネマ館)