緊縛の思い出〈2〉

 緊縛、濡木痴夢男氏、カメラ、杉浦則夫氏と出逢ってからというもの、すっかり緊縛される
喜びを覚えた私でした。緊縛され夢ごごち。セックスの喜びは肉体が主ですが、緊縛は心が開放され、
信頼し、頭も心もリラックス出来るのです。杉浦カメラマンに辛いポーズを要求されようとも、
私をしっかり見て、支えていてくれる、という安心感で、何もかも幸せな一時でした。
 一年で何回出逢っていたでしょう。数カ月に一度は、縛って撮影してもらわなければ欲求不満
となり、自ら編集人に売り込みに行ってました。
「縛られたいよー」
と。

 その傾向が強まったのも、東京三世社「SMセレクト」で”快姦散歩”という連載をもち、縛られながら
散歩する、という事を始めてから。
 縛り、カメラは編集人が担当。菱縄のような縛りで半日歩き回り、撮影。編集人と二人きりなので、
素振りは見せませんでしたが、私は感じてました。それは縛りに、ではなく、散歩、人の視線に、です。
ドキドキしながらも平常心で撮られ、解散。これを毎月やっていれば当然、欲求不満となりますよね。
そこで、「ちゃんと撮影されたい、縛られたい」となるのです。

 プライベートで、という気持ちはあまり無かったですね。というのも、ホンモノの縛りを知ってしまった
からでしょうか。私の想いをどんどんかき立ててくれる縛り、いや、私が勝手気ままな妄想をしていても
放っておいてくれ、なお、包み込んでくれる縛り・・とでもいうのでしょうか。
 マゾ側の想いを聞き入れて、ある程度放任し、少しずつ縛り手側に寄せていく・・。このテクニックは
ある意味、サディスト的ではありませんが、縄好きマゾにとっては、ポイントとなる点だと、今になって
思うのです。

早乙女宏美 – フェティッシュバー Black Heart

緊縛の思い出 <1>

今でこそ緊縛大好きと豪語している私ですが、本当に好きと言えるまでには時間がかかっています。
ひと縛めでくずれ落ちた訳ではありません。

私の初縛られはプレイではなく、グラビアの仕事でした。SMに興味を持っていた私は、SMと名が付けば、どんな仕事も受けていたのです。(スカトロ系NG)
ビニ本の縛りでは、太い綿ロープでの縛り。何の感動もありませんでした。
弱小出版社のSM専門誌。私が、縛りに興味がある、と言った事により、次から次と縛りが展開され、
私は半ば、何がどうなっているのかついていけない状態でした。

その縛りはきつく私の身体にくい込み、
私の心の中に土足で踏み込まれているようでした。私は心が辛くなり泣きながら仕事を終わらせ、
「もう二度と縛りの仕事はやりません」
そう言い放ち、現場を去ったのです。

私は真剣に悩みました。私の想っているSMなんて無いのか。もっと精神的ではないのか。所詮
肉体のみなのか・・・。
ついに自分一人ではどうしょうもなく、友人に相談したのです。すると、
「まだホンモノを知らないからだよ。巧い縄をかけられて、緊張感のある撮影を体感しなければだめだ。
それを知ってから、もう一度考えなよ」
この友人は、当時まだ編集人だった中野D児氏。この助言が、私の人生観を変えたのでした。

そして私は、東京三世社「SMセレクト」と出逢うのです。緊縛濡木痴夢男、カメラ杉浦則夫。
二十歳になるか、ならないかの時でした。今思うと、本当にあの時、自暴自棄にならなくて良かった。
そして、心ない人に縄を掛けられ、この世界が瞬時に嫌いになった女性がいるかも知れない。
そう思うと、初縛りの大切さをよく考えて頂きたい。心からそう願うのです。

早乙女宏美 – フェティッシュバー Black Heart