水無月み遊のお肉

み遊さんはおっとりした名家のお嬢さんです、気立ても教養もずばぬけていい、肥満体の
コ ンプレックスを美しいと見ていただけるような人々をさがして私のサイトに応募をただいた。ちょうど私も肥満体に縄がけした肉の緊縛感を求めていたおりでも ありさっそく撮影にとりかかった。大勢の人のいるところで緊縛される恥ずかしさから始めの頃にはかたく緊張していたが高手小手にくいこむ縄の拘束感が緊張 をすてさり顔だちをやわらげた。ちょうどこの日本間にさす淡い光が肉の塊に美しいコントラストを作り縄の一筋が肥満のからだにくいこむごとにボリュームに 変化がありありとあらわれて造形の面白さ緊縛のダイナミックさがどんどんと伝わってくるそんな緊縛の姿に見入っていた。

後半に掲載される乳房責めもみ遊の体であってこそ可能な縛り姿だとおもいます。

後日編集した画像をみ遊に送りましたところ、大変よろこびの返信をいただきました
上記作品は、
緊縛桟敷キネマ館にて掲載中

杉浦則夫緊縛桟敷 より原稿掲載

緊縛への目覚め

「縛ってイカせる」という事に目覚めてしまった画像です。

ここからは写真を見て連想、というより妄想した内容です。
実際の状況や、現場の雰囲気とは違うかもしれませんが、ご笑納下さい。

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後手に縛られている、という事、
そして後ろの柱と、天井から吊られている事。
この時点で、ここから逃げる事は出来なくなっている。

そこから、右脚は太ももで吊り上げられていて、
更に、足首は外側に引かれている。

この時点で、脚を閉じる事はおろか、下ろす事すら不可能。
この状態からは、せいぜい足を外に蹴り出す事ぐらいしか出来ないが、
そんな事をしたら更に開脚されるため、必死で内側に閉じようとしている。

反対の左脚は体重を支えられるギリギリまで開脚されていて、
そして、足首は外側から引かれている。
脚を閉じたくても足首を縛られていて不可能。
逆に、開こうとすれば、腰が下がって股縄が食い込んでしまう。
(腰縄及び天井からの吊り縄と股縄は繋がっている)

そして股縄にはバイブが仕込まれていて、
そのスイッチは、目の前に置かれている。

そのスイッチを脚で払う事も出来ないし、
もちろん、手を使ってどかす事も出来無い。

もしも今、そのスイッチを入れられてしまったら・・・

じっと様子を見ていた男が、近づいてくる。
視線を逸らし、目を閉じ、次に起こる事に身を固くする。

・・・・・・・・・・

全ての縄に意味があり、無駄がない。
それを理解した時に、何かの目覚めを感じました。

そして、処刑を待つ女性の心境。
(処刑=恥を晒すという事)

縄に囚われる事を密かに望んでいた女性だったとしたら、
このシチュエーションだけで十分に濡れているはずで、
スイッチを微弱に入れられただけで、簡単に達してしまう事でしょう。

しかし、ひとつとしてラクな姿勢ではなく、
着地している左脚が少しでもズレたり、腰が砕けたりすれば、
その分、縄は容赦なく食い込むでしょうし、
それによって、この女性の持つ被虐性は更に責められる事でしょう。

そういう全ての事柄が連動していくさま、
それを本人も、見ている側も想像出来ているという状況。

ギリギリで保った秩序を、無慈悲に破壊するそのスイッチ。
それを入れる男の愉しみと、入れられる女の絶望と期待。
それを存分に感じさせて下さった一枚です。

・・・・・・・・・・

そういう機能美だったり、女性の機微だったり、
そしてその先の絶望だったり、を表現したいと夢見ていました。

このとき感じた思いを表現するために、
あのブログを今でも運営しています。

長文、駄文失礼しました。

この画像と文章は先生に見て頂ければ十分で、
その後は投稿ごと削除して頂いて結構です。

もし、万が一、ご許可を頂けるのでしたら、
上記に書いた思いを、私のブログに綴らせて下さい。
この写真と共に。
緊縛Blogでの掲載記事はこちら→<.a>

緊縛blog – ぶん。

晶エリー バレリーナ緊縛

集合時間の5分前にスタジオにエリーと私は到着していた。当日はとても冷え込む 朝で5分さえも外で待つのは辛く、近くの喫茶店に入りスタジオが開くのを待つ。そのさいエリーが悲しげに「私自己主張が強いから仕事の内容がつまらないと ついついやるきをなくしてしまうの、皆さん一生懸命に仕事をなさっているのに悪いなと思いながらだらけてしまうから今は反省しています」、私はエリーとは 一度しか撮影をしていないが、カメラの前になるとその集中力とフォトジェニックな容姿は業界のトップを維持している資格を理解させるものがある。膨大なV ビデオの撮影を経てそこに費やしたエネルギーと学んだ数々のこと楽しさと哀しさ、それが現在の晶エリーをつくっていると自覚するから、無責任な仕事をする 自分が許せないのだろう。エリーのblogに掲載される楽しげで色鮮やかな環境に染まっている姿とはまた違った一面をみせていた。スタジオさんは9時30 分に遅刻到着。

私の苦労話
先日新宿高島屋の店内を通り過ぎていた時にクラッシィクバレエの衣裳をつけたマネキンを目にとめる、今 度のエリーの撮影衣裳はこれだと決める。その後その衣裳をチュチュといわれていることも知る、以前にもバレリーナの緊縛写真は撮っているが今回はもうすこ し踊り子を理解して臨みたく思い、ネットでバレエシューズのはきかた、舞台挨拶のポーズなどを調べてみた。バレエシューズは中国古来の纏足の苦しみを女に (あえて女に)あたえ、それを鑑賞する芸術とよこしまな考えをいだく。バレエの練習経験のないエリーにはたしてつまさきに足指をかためてはいたトウシュー ズでつまさき立ちができるのかと危ぶんでいた、その危惧は2、3度のつまさき立ちで足指を痛めてしまう結果となる。ここで今回のテーマのひとつの纏足はや むなく中止。チュチュで踊る踊り子は素足に股縄で舞台にあがるのを正式な衣装と心得る。私達はそんな演目を演じて、舞台袖にさがったエリーからクレームが つく、素足ではチュチュの裏地のコサージュの縫い目があたり痛くて動けない。またまた中止、事前にバレリーナに相談しなかった私の失敗。ちょっと エリーの気持ちに暗雲がただよう。確かに衣装とシューズのミスマッチは演者にとっては致命的なことだ。

気分をとりなおして物語り は諦めて緊縛の世界へはいりましょう。エリーは体が柔らかくお尻がハーフの生まれのせいでヒップアップした艶かしい体型です、色白肌に縄止めするととても 映えます、ナルシストのエリーの気分を高揚させるにはただひたすら美しさをほめつづければいいのです、もともと美しいのですから私も自然に「美しい、美し い」とためいきまじりに声をかける、ここからら全て快調なペース
高手小手、釣りきみの開脚、あげくはその続きに釣り、エンディングには体の力がぬけ無残美がでているとおもいます。

上記作品は、
緊縛桟敷キネマ館にて掲載中

杉浦則夫緊縛桟敷 より原稿掲載

浅葱アゲハ

今回は緊縛師の紹介からさせてください。長田スティーブはドイツ国籍の緊縛留学 生で日本に30年ほど住まうがいっこうに日本語を覚えないが大柄で武術にたけた人物です、緊縛術もいろいろな師に学び30年たとうとする、それだけに縄の 流れ縄どめにはなめらかさ艶がある、欠点は几帳面さに欠ける緊縛の完成度には今一歩であるがそのアバウトなところに女への愛情をほんのりとかんじる。

Agehaさん
六大学の一校を卒業ご情報美術の大学に進学するがこの世界の魅力み魅入られてどっぷりとこの世界の住人となる、会話をすると小声ではあるが澄んだ声で無駄のない要点だけを短いセンテンスで話す、英会話も完璧にちかい会話をする。
今 回のフアストシーンで縁側に寂しく物思いにふけるAgehaの眼差しは過去の辛さ不幸を全て流しさったような清らかさがみえた、この人には実際にそんな重 い過去があったようにみうけられる、今いちばん楽しいことはストリップの舞台で踊る20分ほどの孤独な集中が楽しいという。

筋肉質の腹筋 とウエスト50センチのくびれは可愛らしいお尻と対比して見事な曲線美をなしている、ふくよかな肉体も魅力ではあるが体脂肪を削いだ体に受縛をされた姿に もより強い被虐美を感じる、今回の写真のうち私の好きなカットは添付写真です、ウエストをVの字にしぼりぐいと開脚された姿につい見入ってしまう自画自 賛、ホ。。。とためいき。

上記作品は、
緊縛桟敷キネマ館にて掲載中

杉浦則夫緊縛桟敷 より原稿掲載

川上ゆうウェディング

この企画に多くの方々から物語の草案をいただきましたことにここに感謝いたします。物語の発端としましては一般BBS-B-鳶中-no862様の草案が近いと考えます。
メ イクと着付けを終えてホリゾントに佇む川上は眩しく輝き幸せな結婚を約束された人そのものでした、-ブ-ケに疑問をもたれる方もおありかと思いますが、街 の花やさんに撮影前日に買いにいきましたところ店主のおばさんが頑固ババァ-でウエディングドレスを見ないとブ-ケは作りませんといいはる、それは店の良 心と古見にかかわるとむずかしい顔つきをつくっている、あきれ果てたが仕事にこういった筋のとおった見識と態度をとる人の少なくなった昨今ある清々しさを 覚えた、そんなわけです-本題です、場面が一転して地下室に拉致された花嫁は事態の暗転に呆然となるなか素早く後手きキリキリと縛り上げられる
、 神前の誓いを終え披露宴が始まろうとした刹那に恐ろしい悪だくみがはじまった、招待客にまぎれた元の恋人の復讐は満場の来賓の前で花嫁の性癖を知らしめる ことである、それも彼だけが花嫁の表情からよみとれる方法で、すなわちバージンロードをスポットライトあびながら歩く花嫁の股間には麻縄が貞操帯を模して きつく食い込んでいる、歩くたびに股間からとめどもなく苦痛が襲い恥じらいと姦計に堕ちたわが身を呪いながらも微笑でごまかすのではあるが、元の恋人には 花嫁の一筋の涙だけで十分に復讐をはたした、これはこれから始まる物語のプロローグである。

上記作品は、
緊縛桟敷キネマ館にて掲載中

杉浦則夫緊縛桟敷 より原稿掲載