コラム「女教師 小野亜美」上

【大貧民】

トランプゲームに、「大貧民」というのがある。
簡単に遊び方を説明すると。
プレーヤーは3人以上、5~6人が一般的とされている。手持ちのカードを場に切って行き、早く無くした方が勝ちというもの。カードの数字は、弱い順に3、4、5、…K、A、2が最強、と強弱が有り、当然、手札に強いカードを持つ者が有利なゲーム展開となる。
最初のゲームの勝者が「大富豪」、敗者は「大貧民」と階級分けされ、次のゲームの配札から最上位「大富豪」は好きなカードを、最下位「大貧民」は配札から一番強いカードを2枚交換する。第2位の階級と、最下位から2番目の階級との間でも、カードの交換が行われる事がある。従って、最初に「大富豪」となった勝者が、何ゲームも続けて「大富豪」となり、「大貧民」はいつまでも「大貧民」から抜け出せない。敗者にとっては、まさに無限地獄。近現代の資本主義社会をそのまま持ち込んだ、“良く出来た”ゲームと言えよう。

階級は通常、上から「大富豪」「富豪」「平民」「貧民」「大貧民」で、人数によって、「平民」を増やすなり、階級を“増設”するなりして調整する。例えば9名で遊ぶ場合、「教皇」「皇帝」「大富豪」「富豪」「平民」「貧民」「大貧民」「奴隷」「家畜」等。階級が細分化されるのではなく、上はさらに上に、下はさらに下へと格差がどんどん広がっていくのが興味深い。

ゲームである以上、「家畜」が「教皇」へと昇る事は不可能ではないのだが、通常それは、よほどの運に恵まれる必要がある。「家畜」はいつまでも「家畜」であり続け、あるいは「奴隷」と「家畜」の最下層近辺を行き来し続けるわけで、毎ゲーム終わるたびに、上、中位のプレーヤーからの嘲笑や侮蔑の言葉を浴びる羽目になる。そして、それは階層が固定化するほどに、より過激で辛らつなものとなる。“遊び”であるが故に、いつのまにか人格まで否定されるような不条理でサディスティックな色合いを濃くしていくのだ。

そんな、理不尽なルールが支配するゲームであるが、「革命」という救済ルールが存在する。
同じ数字のカードを4枚揃えて出す事で、それまでの、カードの強弱が逆転する。「革命」は、現行ルールで優位にゲームを進めている序列上位のプレーヤーが行う動機が無いので、下位に位置する身分から宣言される事になる。当然、それまでが弱いカードでも、革命後は強くなるカードを残しているわけで、その後の展開は、それ以前とは真逆となる。支配者は瞬く間にゲームに敗北し、奴隷へと転落してしまうのだ。

革命カードが手札にあり、後は仕掛けるタイミングを計るばかりの「奴隷」や「家畜」の密やかな高揚感。そして「革命」が成就し、引き摺り下ろされた旧支配層が、つい先程まで理不尽に奴隷として見下げていた者に支配される痛快感。私はそれらに、女教師陵辱作品に含まれる、他の陵辱作品には無い特異な興奮、それと同質のものを感じるのだ。

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