水嶋あい

水嶋あい本日「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。

写真における光の扱いはモデルの心を描くと同じように難しい。
掲載した一枚は数十枚のうちの一枚で、わずかに残る顔の陰が水嶋を女学生に似せていると気に入っている。

水嶋はロリコンモデルとして旬にあるらしく忙しくしているがたまたま空いた日に撮影できた。おおまかですがロリ顔の子は優しげで物事にあまり頓着しないどちらかといえば無知な子と思うのであるが、それは外見であり内面はとても意思の強い判断力のできた子が多い。
水嶋もそんな一人で私の要求を的確に理解して撮影の姿態を作っていく、また体が柔らかくお尻をぐいと持ち上げるととてもエロチック姿態をとりみとれてしまう。

義父が娘を陵辱するテーマで作りましたからその部分が大変多くなりましたことを許されたし、次回の機会には緊縛美を基に撮影したいと思います。

水嶋との談話
Q なぜ緊縛の世界に興味があるのですか ?
A この業界にいて変わった仕事をしないとつまらない、ただ脱ぐだけの撮影ではつまらない、刺激のある撮影をしたい。
Q 今日の逆さ吊りはびっくりしたでしょう
A スタッフのみなさんが集まって持ち上げられて逆さになり縛られている時はこれからなにが始まるのかと期待でうずきました、逆さで時間がたつと頭に血が下がり意識がうすれていった、なにか異次元で周りの音を聞くようで変な感じがした。
Q 首を縛ったがロープが締まった時苦しくなかったですか?
A 気持ちいいです、私セックスしてる時自分で首を絞めたりする、窒息願望もあるがもっといいのは過呼吸になる時、肛門セックスして抜く時になる、説明できないが意識が飛ぶ、そんな時には後ろからハグされて優しくされれば意識はもどり気持ちいい。
ーー肛門セックスと過呼吸ですか、新しい見識ですありがとうございました。

水嶋あい本日「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。

投影 ~小林一美を求めて~ セーラー服

第六章 、セーラー服

「おそらく…」
このモノクロ画像があるという事は、必ずそのカラー作品が存在するはず。
また、1タイトルに別バージョンがいくつも存在するのも常であったので、掲載雑誌の直後に発行された写真集には、同衣装で別タイトル掲載の可能性が高かった。
なにか、元素の周期表を埋めていく調子で、「理論的には…」と未発見の画像を仮説し、探索する日々であった。

縛りモノではない、モノクロの小林一美がいる。
たった1ページ。セーラー服姿の彼女は、股を開き手淫に興じていた。
やはりモノクロで、同じセーラー服で縛られた姿が、今度は小さなカットで目次に張られていたりもする。他にも、読者投稿欄に、印刷ドットが丸見えの荒い挿入写真が数点、確認されていた。いずれも、SM誌に掲載されたものである。

私は、これら画像から、セーラー服で緊縛された小林一美のカラー作品の存在を確信し、熱心に探し回った。
が、ついに見つけることが出来なかったのである。自力では。

一昨年、そのどうしても埋まらなかった、セーラー服緊縛のカラーグラビアを所蔵する先輩に出会った。「小林一美」に関して、私ほどの“コレクター”はいないだろう。そう、長く慢心していたが、世の中上には上がいた。

タイトル「少女は媚薬」。
掲載は昭和56年SMセレクト8月号らしい。手元のモノクロのセーラー服より、1年ほど後に発表されたグラビアだった。

捜しに捜し求めたセーラー服緊縛の小林一美。

先輩から頂いた彼女は、それまでの小林一美よりも“疲れて”見えた。いや、“くたびれて”といったのが正直なところだ。目に精気が感じられなかった。
心がざわついている。新たな彼女との出会いを喜ぶよりも前に、別な感情があった。

実は、彼女のセーラー服姿は、もう一つ存在する。
「媚薬」のセーラー服は白スカーフであったが、赤スカーフの作品をそれより前に入手していた。

「SM淫獣群」は、単体ではないものの、かなりのページ数を彼女に充てた写真集である。一連の元素周期表に沿った推理とは無関係に、初めて寄った古本屋で偶然発掘した。
これまでのどの作品よりもレイプ感があった。だが残念な事に、ちゃんと縛られているにもかかわらず、いわいる「緊縛美」といったものは皆無だった。
多くのSM写真集と同じA5のサイズではあるが、自販機本のある種の“下品さ”も併せ持った内容であったと思う。

小林一美のセーラー服に共通して言えることは、拭い難い「違和感」だ。
私は、彼女を小学校の担任教師に重ねていたから余計にそう感じるのかもしれない。いつまでも“年上の女”である彼女に、セーラー服は似合わないのだ。どうにも、グラビアの中に気持ちを入れ込むのが骨であった。

「淫獣群」もまた「媚薬」の小林一美同様、どこか疲れている。
確かに彼女は表紙を飾っていたが、注意深く探していないと、見落としたかもしれない。それほど、これまでとは受ける印象が違っていた。

55年発表のタイトル数を見る限り、彼女は大忙しであった。もちろん、その後も現在に至るまで、未発表の画像は度々リリースされているが、実際の活動時期は、長く見てもこの年と前後半年を含めた2年ほどでなかったかと思われる。

おそらく、2つのセーラー服作品は、その最後の頃に撮られたのではないか?彼女の疲れきった表情から、そんな事を考えたりするのだった。
不覚にも、緊縛モデルとしての小林一美を気遣う。その時代をリアルに生きた、名を知らぬ“彼女”の存在を意識した。

私の作り出した淫靡な妄想世界から、現実世界へと彼女が帰っていく道程。
そんな彼女のセーラー服姿だった。