コスチューム巫女緊縛 美帆 緊縛桟敷 掲載開始


美帆杉浦則夫緊縛桟敷にて掲載開始。

撮影後記:

昨年の3月には雪中撮影をした美帆、雪原に黒髪を乱した図、枯れ木に逆さ吊りの図それぞれが好評であった。

今回は特殊な設定を考えて彼女が学生時代にアルバイトをしたことがあるという巫女にしてみた。私としては初めての設定である。
ヘアーメイクをおえて部屋から出てくるまではどんな具合に出来上がるのか不安であったが、出来上がりは上々で神社でお札を受け取るお嬢さんとまではいかないが熟女さんの巫女さんです。
撮影日の2月19日は立春を過ぎても厳寒の日が続いた、美帆のかねてからの願望である女囚のお白州の場面を想像してむしろに正座をさせる、ただ放置しただけではカットが進まない、突然に私の脳裏に雪原が見え、寒水をあびせる折檻のイメージをいだく、薄暮の寒々とした風景のなかに放置され、神社の用務員の水責めは絵になると喜々として行う。
こんなことは普通の子ではしませんし出来ません、美帆だから思いつき実行できるのです。
緊縛に原理(?)的な態度の美帆と最近は猥褻、卑猥を話す機会がある、緊縛は充分に不道徳であるから猥褻である、だがこの崇高な(?)言語が「オ○○コ」をのぞかせろと同義語になりさがっている、
これも表現者の衰退した感覚の責任と痛感する。

当日のツィターはおおにぎわいで「吊り」「吊り」「つり」のリクエストばかり。
美帆=吊りということらしい、本人もそれは望むところと心得て、逆さの世界を感覚を空にして東方浄土をさまよっているようだ。この日の奈加氏の縄も冴えた、手心をくわえないで手前に集中すると縄に迷いがない、美しい。「ほんとにこいつは凄い、どろぬまだ」奈加談。

半年程前に美帆を女囚にして江戸刑罰の図を撮ろうと話した。彼女はもともと縄をかけられるとお白州の場に引き出された女囚を思い浮べて緊縛の世界にのめりこむとつねずね云っている。数冊の江戸刑罰史を読むうちに刑にふくし堕ちた霊を想い小塚原刑場を訪れたと聞く。それほどまでにして緊縛を想いある意味では神聖視する女は私の写真史の中にはいないし今後も現れないだろう。女囚は困難であったがこの巫女の図でお白州、駿河問い責め、逆さ吊り水責めと責めた、どの図も刑に服す覚悟を決めた女の姿を残して納まっている、私としては薄暮の庭の水責めが満足いく出来であったと久々に悦にいっている。

   杉浦則夫のしたため

美帆の当日の感想:

 「撮影を終えて・・・」  
 1年振りの撮影だったので、かなりの緊張と共に始まった撮影でした。
 縛りはきつかったのでしょうか?あまり記憶していないので・・・
 正直な感想をヒトツ。あのような撮影に情けや手加減は無用であり、そのようなことがあると心が冷めた方向に向かって行ってしまいます。こんなことを書いたのは、撮影の途中で大きな「?」に対面したからです。当日は朝から雪がチラついていましたが、夕方近くには止んでしまいました。野外での撮影に雪が無くなってしまい、どうしようか・・・と先生が悩んでいましたが、即座に「水か・・・」の声が聞こえてきました。先生は私の期待を裏切らずに本当の冷水を指定してくれたんです。周りのスタッフの方々は「本当に?」といった感じでしたが、冷水をかけることは何一つ間違っていないと思います。実際に水をかけられる前は不安や怖さが出てきました。かけられて心臓麻痺になったらどうしよう・・・と考えてしまったりもしました。そうなっても悦ぶと思いますけどね。
 水がかかる直前の心臓のドキドキが身体中に響いていました。先生の合図で水がかけられた瞬間は見せしめに合っているかのような哀しさに寒さがプラスしてそれから先の事を考えるのを止めてしまいました。何度か水をかけられましたが、最後に私にとっての悲劇が・・・。温情でしょうか?水がお湯に変えられてしまったんですね。目が覚めたというか心が冷めたというか・・・なぜ?という気持ちになってしましました。
 私は痛くないのに痛いふりをするのが大嫌いです。それと同じで冷たくない物に冷たいふりはできないです。あの時のお湯がなかったら・・・と今でも思っています。
 念願の巫女ができたので、満足はしています。

 美帆

投稿者:

杉浦 則夫

杉浦則夫写真事務所代表 杉浦則夫