紫月いろは×緊縛桟敷

紫月いろは 第二弾杉浦則夫緊縛桟敷にて本日掲載開始。

今回は「紫月いろは」さんより撮影時の感想文をいただきましたので、撮影後記に変わって掲載させて頂きます。

前回撮って頂いた時から約四ヶ月ぶりの先生との撮影。そして緊縛はまた奈加さん。

前回撮って頂いた時は先生に撮って頂くのが初めてということと
奈加さんと一緒にお仕事をさせて頂くようになってまだ間もなかったので、それはそれは緊張でした。

でも今回の撮影は前回に比べると緊張の度合いが少し柔らかかったように思います。
それは奈加さんと一緒にお仕事をさせて頂く回数を重ね、奈加さんとの距離が少し縮まっていたからか・・・
程よい緊張感の中に楽しさのようなものを感じることが出来ました。

こうして振り返ってみると撮影は本当にあっという間でした。
楽しい時間はあっという間に感じるものですが、先生との撮影はその感覚とはまた少し違うというか。
先生にカメラを向けられると自分の中の時計が止まってしまうのか狂ってしまうのか・・・
窓の外に目をやった時に「あ、ちょっと日が落ちた」,「あ、もう暗くなってる」と思って時間の経過を確認した事を覚えています。

今回の撮影は、緊張や楽しさに加え、前回とはまた少し違った心地良さを感じることが出来ました。
そして精神的な気持ち良さと肉体的な気持ち良さも前回以上に感じることが出来ました。

前回はあまりにも緊張が大きすぎて、心地良さは感じるけれど気持ち良さはあまり感じれなかったように思います。

今回は特に終盤、蔵での撮影で気持ち良さを沢山感じたように思います。
気持ち良さから眠気みたいなものが襲ってきて、先生の声が聞えてるような聞えていないような状態に陥ったと思います。

先生が「気持ち良いだろ?気持ち良くなっていいんだぞ。」というような言葉を仰ったと思うのですが
多分その言葉をきっかけに、気持ち良さを「ドン!」と感じ始めたように思います。
だけど“気持ち良さを感じている”ということを先生や奈加さん、周りのスタッフさん達に察してしまわれるのが恥ずかしい事のように思えてそれを我慢しようとしたように思います。
我慢をしなければ淫らになってしまいそうというか・・・そんな自分を見られたら恥ずかしいように思いました。

“作品”としては、淫らであれば淫らであるほどいいのかな?と思うのですが
先生に撮って頂いているときは“作品を作っている”という感覚が抜けてしまうようで・・・なので淫らになりそうな自分を抑えてしまったのだと思います。 そう考えると・・・自分では前回の撮影から何か解放されたようなつもりでいたけれど
本当はその解放はまだ全開ではなく、まだ先生の前で出していない自分,本当の自分を隠している自分がいるような気がしてきました。

自分でもわからない自分がまだどこかに潜んでいるのかも知れません。

本当に全てを解放したら,解放できたら、そこにはまた違う感覚が待っているのかな・・・どうなのでしょう。

自分のことは充分わかっているつもりでいましたが、もしかしたらわかっていないのかも知れませんね。

もしまた今度先生に撮って頂ける機会があったら、その時はもう少し解放してみても良いでしょうか?

解放したいです。

今回の撮影を通して「緊縛好き」がまた一歩進んだように思います。
これ以上緊縛という世界を好きになってしまったら私は一体どうなってしまうのでしょうか。

でも緊縛の世界で生きていきたいと望む私は、良い意味でこれからもっともっと緊縛の深みに嵌っていきたい気持ちでいます。

いろは

紫月いろは 第二弾杉浦則夫緊縛桟敷にて本日掲載開始。

飯倉えりか×緊縛桟敷

今回は「飯倉えりか」さんより撮影時の感想文をいただきましたので、撮影後記に変わって掲載させて頂きます。

杉浦先生、ならびにスタッフの皆様、先日は大変お世話になりました。
長時間撮影だったにも関わらず、あっという間の素晴らしい時間を過ごさせていただきました。 心からお礼申し上げます。

杉浦先生の撮影現場はとても緊張感に溢れていて、たくさんの初めての責めを受けても逃げずにいれたのは、杉浦先生から発せられるパワーと思いを全身で感じる事が出来たからだと思いました。
ところどころ記憶が飛んでしまっていて申し訳ないのですが、初めて経験したクリップ責めは、体の表面から痛みを感じ、それが全身に広がり今度は熱さに変わっていきました。身体は緊縛で身動きが取れず、乳首も割り箸で挟まれ、息をするたびに痛みが全身に走りました。
どうすることも出来ない、という状況は、苦痛でもあり喜びでもある。
それを実感致しました。

私は緊縛というものを数年経験していますが、「縄で縛られる」という、ある種拷問でもあり苦痛でしかない状況が、なぜこのように自分を解放させてくれるのか。。
いまだにその謎は解き明かされていません。
「不自由な中での自由」は、私に考えることを許さず、「感じること」のみを与えてくれます。

その証拠に、数々の責めを受け、泣きじゃくったあとの体は異様に敏感になり、体の内部…特に秘めた部分にとてつもない熱さを感じていましたから。。

そのあとは、ずっと夢の中にいるような不思議な感覚で…ずっとそうされていたいという欲求が、あとからあとから湧いてきて…
苦しくて惨めで、どうしようもない状態の私を真剣に見てくださっている。身体がどれだけキツくても、この心が解放される喜びを知ってしまうと縄からは離れられません。

もっとどうにでもして欲しい。
女の秘部を踏みつけられ、女のシンボルである乳房を鷲掴みにされ、踏みつけられたい。
浅ましい「肉」に成り果てたい。

そんな欲望に満ち溢れた数時間は、私が「女」であることを強く認識させてくれた、素晴らしい時間でした。
ぜひひまた経験してみたいと思う、背徳の時間でした。。

今は、杉浦先生の作品となった自分を見るのが楽しみです。  そこにはきっと、私が望んでいた凄惨な美、「縄の向こう側」の世界が写し出されているはずだから。。

飯倉えりか「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。

私の恥ずかしい失敗 第2弾

ふたたびキャリア35年様より恥ずかしいお話しのご投稿を頂きました。誠にありがとうございます、シリーズ第二弾公開です。

さてさて私の恥ずかしいお話し第2弾。
たとえ不評でもやめる気はありません。

今回も前回と同じく、当時大好きだった漫画にでてきた〇ナ〇ーネタにインスピレーションを受けて実行してみた、実に画期的なやり方です。
その漫画では「壁」に穴をあけて、その中に第1回と同様コンニャクを詰め込んでいたすというやり方でした。
しかし探してみたところ当時の我が家には、穴があけられるような適当な壁は見当たらず。
ところが奥の床の間に、手ごろな位置に穴があけられそうな、太さもおあつらえ向きな床柱が見つかりました。
当時父は単身赴任していて、母も父のもとにお世話しに行っていたという、この画期的な方法を実行するにはまさしく絶好な環境下で、誰のおとがめもなし。
日曜大工が好きだった父の工具、穴あけ用の電動ドリル、ノミ、金槌、サンドペーパーから、はては中学の時に使ってた彫刻刀まで多々ひっぱり出してきて、何日か集中しての穴あけ作業。
肝心なのは、自分のナニのサイズに合わせた大きさ太さの穴を完成させること。

皆さんも、思春期にひょっとしたら「小さい」のではないかと気になって、自分のモノのサイズを測ったことが一度はあると思います。
私もご多分にもれず、勃起時に物差しを当て、巻尺で太さを確かめたことがあり、一応標準サイズとわかりほっとした経験がありました。
数日に及ぶ作業の結果、私のサイズに合わせ、入口はややせまく、奥は適度に余裕のある広さの、見事な穴が完成しました。

そしてまたしてもコンニャクの登場です。
その漫画の注意書きによると、コンニャクは包丁で切ったりせずに、必ず手でちぎって使う、ということ。
手でちぎってぐちゃぐちゃにしたほうが、膣の中の感触により近くなるから、という理由でした。
コンニャク温めも手慣れたもので、人肌よりやや高めに設定して、漫画の注意どおり手でちぎり、突っ込んだ時にモノ全体に適当にまとわりつくくらい大目に詰めこみました。
例によって下半身は丸出しにして、柱を抱きかかえるように、穴にズブッと突っ込んでみると、これが実になんともいえない期待以上の気持ちよさ。
さらに漫画では、女性の喘ぎ声が入ったエロテープを使用すると、よりいっそうの臨場感が得られるとありましたが、私は持っていなかったので、自ら一人二役の演技をすることでカバー。
この方法でひとりでやるときには、とにかく声を出すのが効果的なことを再確認。
柱の周りにグラビアを広げ、手にした1冊のお気に入りのモデルさんを餌に、腰を振り振り、入れたり出したり。
「そんなにお尻を振られるとたまらないぜ!」などと、SM小説や劇画の中のセリフを自ら再現。
時には外人になった気分で英語で、「You Are So Tight!Ah Ah Feel So Good!」「I’m Coming!!」などと、誰の目も気にすることなく、夢中になってのひとり芝居。
射精の瞬間には、当時大好きだったモデルさんの名前を大声で叫んでフィニッシュするのが恒例でした。
この最後の大声が、実にものすごい快感の高ぶりを呼ぶのです。
「葵~!!」「一美~!!」「じゅん~!!」「久美~!!」などなど。

まさしく両親も驚きの、鬼の居ぬ間の大洗濯ともいうべき悦楽の日々。
しかし数か月後、父が単身赴任から戻ってきて、なぜか家の建て替えを独断決行。
数か月を実に有意義に過ごさせてもらった、大恩ある大切な柱もその時にあっさりとり壊されてしまい、一巻の終わりと相成ったのでした。

450日の緊縛記録 表紙-撮影後記

美帆
2010年12月に最初の1枚を撮ってから、今日まで私の元には7000枚以上の画像があります。
当初は単に写真をとるだけでした。次第に枚数が増え、「世界で1冊だけの写真集を作ろう」ということが、気が付くと「電子ブックを作ってみよう」と事が進んでいました。
「先生と一緒に作品を作りたい」そんな想いで電子ブック製作に快諾したものの、どのようなものか私の中では全然分からず、想像もできなかったです。“とりあえず、文を書け”、そう言われて書いてみても、先生が納得するような文など書けず、何度も書く気力を無くしていました。文章力のない私にとって、心を動かすような文を書くのは難問でした。そのうえ、縛られている時の心の動きを…と言われても、記憶が無いのですから。画像を見て、必死でその時を頭の中に描き、書くしかなかったです。
電子ブックの画像を見て、文を読んで、先生と私の縄への想いを感じていただければ…と願っています。 
いつの日か、この電子ブックの画像を見ながら、皆様と談笑ができたら……素敵ですね。

杉浦則夫
この写真集は縄の拘束を愛しそれに酔いそれなくしては禁断症状をおこす美帆に体ごとあずけてみたら私にもなんらかの知るものがあるだろうと始めて1年半程も過ぎた。始めてからの数ヶ月の写真はなんら発表するつもりもなくおたがいの好き勝手を要求しあい写真にしていた。私は写真として面白いもの、それは黒髪の乱れの美。美帆はより強い縄目の責めを要求する喧嘩の絶えない450日。それがある時を境に発表する方向にむかった、そんな甘い態度でものが出来るのかとの疑問は残るが撮影をしおえた内から納得のできる写真を選び積み重ねて構成してみて「和室編」を完成としました。